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行春を近江の人と惜しみける


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Common cuckoo



うき我を さびしがらせよ かんこどり

by芭蕉

落ち込んでる私を、
さらに寂しがらせてくれ!カッコウよ!
まあ、ドMというわけではなく、
落ち込んでいる時すら、自己を見つめる為に
メンタルを孤独に落とし込む鍛錬?修業?
なんというか、
やっぱりドMというか(笑)
でもまあ、鬱っぽいというか
気分が塞いでる時は、人には会いたくない(主観)
というのはあるかも、
カッコウの呼ぶ声を聞いて、
誰も呼んでくれない自分を落ち込ませて喜ぶとかもあり?
でも、カッコウ、、パラサイト系なんで
これがまた、色々哲学的な句に感じられる。
ともかく、
自分に厳しい男よね、芭蕉(主観)
カッケェ
だから凄腕スパイ説がいつもありつづけ、
信じられつづけたりするのか?
まあ、妄想し放題やし、
俳句も暗号やったりする(ことはない)

ということで、
私の生涯で、神作品と崇める文学はたくさんあり
推しの神作家もたくさん存在する。
その中でも、芭蕉翁はベスト10に常に君臨しております。

で、この六年ほど、
ずーーーーっっと訪ねたいと
言い続けていたのがこちら
とうとう、
とうとう、実現、、


膳所(ぜぜ)に、ワシ降り立つ。


ここまで、長かった、、(時間が)

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朝日山義仲寺
源義仲(木曾義仲)の死後、巴御前が義仲の墓(当時は塚)近くに、荒屋を立てて住み、義仲を弔って過ごしたのがオリジンだと言われているらしい。寺、というよりも墓守のような感じだったかと思う。巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺という記述が、鎌倉時代後期の文書に出てくる。戦国時代にはほぼ荒地、天文22年(1553年室町時代末期)ごろ、近江守護佐々木六角氏が、義仲の菩提を弔う寺を建立。石山寺の配下として登録されていたようだ。ただ、寺を建立、、といっても、江戸時代の中頃までは、義仲の墓と支えられる塚に柿の木が生えてるだけの小さな寺で、木曽塚、無明庵とも呼ばれていた。



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義仲の墓
現在は立派な墓が建立されている。

木曾義仲/源義仲は平安時代末期の信濃源氏の武将で、河内源氏の一族義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とはイトコ同士。
『平家物語』では朝日将軍/旭将軍という名前でも出てくる。

以仁王の令旨で挙兵して、
都から逃れた以仁王第一皇子を義仲が北陸宮として立てる。
倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで平氏軍勢を撃破し、上洛。続いていた飢饉とめちゃ悪くなった治安の回復を期待されてた。が、しかし、BUT、治安がいっこも良くならず、さらに軍の多数の人間が洛中に居座ったことで、食糧難がさらに悪化、皇位継承にちゃちゃ入れたことで、後白河法皇とモメてしまう。
でまあ、義仲が院御所を襲撃した法住寺合戦勃発。北面武士(御所の近衛兵)&僧兵(もちろん比叡山傭兵部隊)の連合軍とドンパチして勝利、後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉し、政権を掌握した。軍事クーデターである。
でまあ、反撃されるわな
次は後白河法皇が源頼朝カードを切る。頼朝は弟の範頼・義経の東国武士軍勢を討伐隊として派遣。そう、近代ゲリラ戦で通用するレベルの作戦をひりだした革新的戦妖怪義経。義はもう過去に経た男。
義仲は宇治川の戦い、六条河原の戦いなど連敗、わずかの兵を連れて北陸方向へ敗走する。

で、その中継地近江で
一条忠頼率いる甲斐源氏軍団(ずーーっっと信濃国支配争いで敵対していた相手)に見つかり、弱り目に祟り目、軍は殲滅。義仲・今井兼平・巴御前・手塚光盛・手塚別当のたったの5綺で、義仲が皆を逃がそうとする、っちゅう件は、創作物やら物語やらに、ものすんごくたくさん描かれてきたところ。これが、近江の粟津の戦いで、義仲は自害する場所を探して粟津の田んぼに入ったところ、馬の足がとられて動けなくなり、顔面を射られて討死、兼平も自害して、木曽源氏軍滅亡。

全部ひっくるめて治承・寿永の乱

言い換えると、源平合戦

中盤山場ですな。


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巴塚
信濃国の義仲に仕える女武者。
そりゃもう、いろんな作品に描かれた
超有名女性。
多分、日本史上
最も有名な妹属性の女性の一人であることは
まちがいない(私論)

まじで、すごいのよ。『妹の力』
DNAの妹、ではなく”属性”の話。



そして

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芭蕉翁のお墓

大阪で亡くなった芭蕉は、
生前から、こちらに葬ってくれと
遺言を残していた。

松尾芭蕉が最初に義仲寺を訪れたのは、1689年(元禄2)、奥の細道の旅から帰ってすぐで、この年の年末から、この義仲寺で年越しを迎える。

超絶義仲推しだった芭蕉翁、


芭蕉に会いに来た伊勢山田の又玄が作った句

木曽殿と背中合わせの寒さかな

これは、有名ですよねぇ。
この句を読むと、
又玄の目を通して、芭蕉を見ている気がして
とてもアツい。

芭蕉翁はなぜ、義仲推しだったのか。
なぜ義仲寺を愛したのか?

確かに義仲寺の佇まいというか、
地形的な立地とか現在の姿ですら
めちゃCoolである。
芭蕉句風の創作に刺さる場所だと思う。
もしくは、なんせ交通の要所
スパイのホームに最適な条件を備えているともいえる。

いやいや、


芭蕉翁には、実際の妹が3人居たということが判明している。妹たちについては、記録がほとんどないので、一番下の子ぉが「およし」という名前だったということぐらいしかわからん。

実は、義仲ファンではあるが、
実態は、、
巴推しの妹属性持ちだったりしてな、、、

シン・推しの側で眠りたかった、その熱量

芭蕉のお墓に手を合わせながら
すんごい、俗すぎる考えが頭に浮かんだのだった。




とまあ、こんなわけで、

吾が旅に悔いなし!!
もう、満足(あはは、まだ帰ったらあかん)

数年前に、
源平合戦のツアーをしましたが、
あのときに、こちらにも寄りたかったんですが、、


ともかく、義仲寺に来ることができて
ようやくひと段落したような気持ちですわ。


ちなみに、


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こんな感じで、手前に巴塚、隣に義仲の墓
義仲の墓の奥に芭蕉の墓があります。
境内には、芭蕉の多くの句碑がみられる。

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右にあるのが翁堂
本堂の朝日堂・無名庵(むみょうあん)・文庫などが
狭い境内にこじんまりと配置されている

無明庵で、俳人たちが集ってたんやねぇ、、
尊いわ、、


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翁堂には伊藤若冲の描いた天井画15枚12種類がある。

残念ながら複製、複製なので撮影ウェルカムなんだと思うが。
デジタル復元、結構すごいです。
美術館の中ではなく、芭蕉がすごした空気感のある場所で、
外の空気にふれながら眺めるのは、デジタルでも
風情がある、、ように感じる。
多分、裸眼の良さもディペンドするとおもうけど(笑)

現在京都市左京区の信行寺にある花卉図天井画と一具だったと考えられている。元々石峰寺観音堂の天井画であったらしいが、幕末に花卉図は寺外に流出した。翁堂天井裏にある墨書に
安政6年(1859年)6月、大津栄屋町の魚屋通六によって寄進されたと判明している。

翁堂の正面祭壇には芭蕉翁座像、左右の壁には三十六俳人の画がずらりとならぶ。
夜な夜な、絵から抜け出て句会してたりしてねぇ




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芭蕉翁の終焉期
てぬぐいを授かりました。

手拭い、、
かたっぱしから買おうとするのは我慢するようになったが(笑)、
厳選して、入手している。
義仲寺の芭蕉翁手拭いは絶対入手物件でしょう!!
いやはや、感動した
いろんな意味で、うち震えたわ。



カッコウ
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コメント 4

There are no comments yet.
ロンゲのオヤジ
2023/04/04 (Tue) 07:38

膳所といえば
大盛の食堂思い出します
また食いネタ  (笑

リク
2023/04/04 (Tue) 18:29

芭蕉スパイ説、まことしやかに語られてますよね。
あの時代、日本全国に足を運ぶというのがやはり滅多とない行動だったからでしょうか。
旅を終えて、推しのお墓と同じ場所で安らかに眠っているでしょうね。
しかし、推しと同じ場所にお墓を!とは、すごいですよね。

手ぬぐいファンとしては、絶対手に入れなければ!な品ですね。

jube
jube
2023/04/05 (Wed) 07:28

ロンゲのオヤジさん

コメントありがとうございます
そういえば!!あの有名なお店ですね!
微妙に駅がちがうんですよね〜
行ってみたかったです。

jube
jube
2023/04/05 (Wed) 07:33

リクさん

コメントありがとうございます
芭蕉や北斎広重、旅をする芸術家は
スパイにされやすいですねぇ。
特に、昔は写真がないので絵がかけるというのが必須スキルですし。
観察眼があって、絵がかけて、
コミュモンスターでどこにでも馴染む
こりゃもう、スパイ、極上です(笑)

推しの墓の隣で眠る、
究極のヲタ愛ですよね〜〜〜〜
江戸時代から推し文化がちゃんとあったんですわ。
日本万歳。

この手拭いは絶対ですよね。
嬉しすぎて飾ってます。使えないっ

近畿