廬山寺からはじめる京都歩き

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Ruddy turnstone
京都ではレアな京女
今回は源氏物語
紫式部をリクエストされたので
おもろいビルドができました♪
ありがたいのぅ。
ツアーの様子をちょびっとかいつまんで、書いていきます。
諸説あるなかの抜粋、という感じですんで
ガチガチに読まないようにお願いです。
そもそも平安時代の女性の生没年はよくわからんというか、
明かさないのが普通だったのもあって、
紫式部の生没年の正解はわかってはいないんですよねぇ。
が、色々な文献から、
だいたい970年代の10年の中に収まってるんでは?
というのが有力説。
藤原北家良門流の藤原為時が父で
紀貫之と親しかったので知られている藤原雅正が祖父。
祖父は伊勢とも交流があった、いわゆる一流サロン同人。
ていうか、祖父の父(曽祖父)に至っては
藤原兼輔(堤中納言/中納言兼輔)だからねぇ、
三十六歌仙よ、三十六歌仙。
歌人の家系。
とまあ、名門ではあるが、
紫式部父の為時は
政治力がいまいちだったのか、
そのほかにエグい政治モンスターがいたせいか、
そんなに出世はせずに、受領どまり
越前や越後守になった。
越後守、そうなのよガタにもいらしてるんですねぇ、為時。
残念ながら紫式部は越前には同行しているが、
越後には来ていないのだった、、。
越後に来てたんだったら、また色々ガタでも開催できただろうに。
ともかく、
越後に同行した紫式部の兄弟の惟規
(紫式部より出来が悪かったとして妙に有名)は、
越後でお亡くなりになっている。
そこらへん、これと言ってガタにてお祀りされているとか
そゆのは寡聞にして知りません。
話はずれてきたが
紫式部、970’s生まれ、
寛仁3年(1019年)には存命であったのがわかっているが
没年は不明。
そこらへん、また後日言及する。
で、紫式部が母の実家で生まれたのか
父の邸宅で生まれたのかは判明していないが、
彼女が幼少期、未婚期、さらに藤原宣孝が通っていたのも
父、為時の邸宅であったエビデンスが残っている。

為時邸は現在の廬山寺を中心とした辺り
というので、ほぼ定説となってます。
中川(京極川の二条以北)と鴨川に挟まれた、東京極大路の北東
章明親王家と法成寺に挟まれた所で、
ほぼほぼ廬山寺がすっぽり入り、さらに梨木神社、
府立医科大学附属病院なども敷地に入り込んでいる。
この辺りが、もともと兼輔の屋敷があった場所で
後に、兼時が相続した。
まあ、なにぶん平安時代の事なので、
100%正解とは言い切れないし、
昔も今も、人は引越しをするし、
平安時代に至っては方違えが常識でもあるし。
でも、ここに居たことがある、
そう思うだけで、興奮できるわ。

廬山寺庭園
ここで画像タイムマシン(あったらいいな)を使ったら、
紫式部が見られるかも
ともかく、
南北朝〜室町の源氏研究者(とでもいうのか)で知られる四辻善成(ペンネーム正六位上物語博士源惟良)、1362〜68年に『河海抄』(源氏物語の注釈書全20巻)を将軍足利義詮に献じているんだが、それによると、
「正親町以南、京極西頬、今東北院向也」と、書いてるのも
こちら、廬山寺が為時邸があった場所であると言われている理由。
※昔から源氏の研究書というか解説書はパブリッシュされまくってきた。『源氏釈』『原中最秘抄』『水原鈔』『紫明抄』『珊瑚秘抄』『花鳥余情』など現存してないのもあるが、もっとも古いのが平安時代の『源氏釈』で、『源氏物語』の注釈史の中で、時代によって「古注」、「新注」「旧注」とカテゴライズされている。
源氏はハマるほどに読むものが際限なくでてくるのが、えぐいところ。
ここらへん、つっこんで話はじめると
ヲタ興奮トークとなるために
くっそ長くなるので(笑)
この辺で割愛
ともかく、紫式部がここで生きてた、
と思うだけで、
クワーーーーっと奇声をあげたくなる(変態)
滾るわー

廬山寺の向かい、梨木神社
この辺りは、『源氏物語』の中で、
貴族の別荘が多く立ち並ぶあたりに設定されている
光源氏が花散里に逢いに行く場面では、
「 何ばかりの御よそひなく、うちやつして、 御前などもなく、忍びて、 中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の、木立などよしばめるに、よく鳴る琴を、 あづまに調べて、 掻き合はせ、にぎははしく 弾きなすなり。」
という、中川の女(ワンナイトラブのモブ女性)エピソードが出てくる。
花散里もこのあたりに住んでいたという設定なので、そこらへんの近所に住んでる女性、総嘗めやな。
よく考えると、、やっぱりエグい光の君。
そして、「箒木」で光源氏が方違えで紀伊守邸に訪れる、あの人妻”空蝉”のシークエンス!あれもこの辺り、中川に屋敷がある設定。
源氏物語のリアリティは、
実際に紫式部が生きて目にした”リアル”が反映してるんよね。
たまらんわぁ。
中川、というと藤原道綱母もこの辺りに住んでいたので、
女流文学のメッカともいえる。
聖地よ、聖地(あははは)
日本、いや、世界のマスターピース
『源氏物語』の聖地巡礼の旅です。
キョウジョシギ
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