石山寺で大作家のカンヅメを見る

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Oriental turtle dove
右にちらっとみえているのが経蔵
この右の方に立派な紫式部の供養塔と芭蕉の句碑がある。
さて、京都のお隣
滋賀県に移動してきました。
源氏物語がどこで生まれたか、
というのは、昔から色々いわれてるんですが
まあ、一番最初の構想というのは
もう、誰もわからないというか、
作家にもよるでしょうが、ピンポイントで
1つの場所!と言い切れるケースは超稀なのではないか?
と、思います。
ましてや、源氏物語は長編ドラマ。
自宅や局やその他、出先などで執筆、
ネタ、となると、
ほんとにいろんな場所、
いろんなシチュエーションで、A-HA!ってなったことと思います。
なんせ、センスめちゃいい作家ですし。
とはいえ、
世に、うちこそは源氏物語の構想を得て書き始めた場所じゃ!と
名乗りを上げているお寺さんがありまして

大本山石山寺です
平安女流文学作家をインスパイアしまくったお寺。
寺は壺坂(つぼさか)。笠置(かさぎ)。法輪(ほうりん)。霊山は、釈迦仏(しゃかぶつ)の御すみかなるが、あはれなるなり。石山。粉河(こがわ)。志賀。
by清少納言
寺は壺阪(奈良)、笠置寺(京都府、ほぼ奈良)、法輪寺(嵐山のほう)がマイベストスリー。霊山は、釈迦仏の御住所であるのが尊すぎてしんどい!あとは、石山寺(大津)、粉河寺(和歌山)、志賀寺(今は失われている、崇福寺跡として滋賀里町にある金仙滝の付近に遺跡がのこる)が、好き。
と、石山寺が枕草子にランクインされている。
蛇足だが、粉河寺はまさにうちの氏の地元で非常に誇らしい。
こういうランキング系ログって、読んでても楽しいわな。
もし、清少納言が現代におったら、
「寺院はやっぱりモンサンミッシェル、スルタンアフメット・ジャーミィ、ウエストミンスターどすなぁ。神様がおる場所はどこでも素敵やおへん?ミラノドゥオーモ、タージマハル、ヴォロネツモネストリーもよろしおすぇ。」
とか、言うたりして(笑)
藤原道綱母の『蜻蛉日記』の中で
十七日、雨のどやかにふるに、方ふたがりたりと思ふこともあり、世の中あはれに心ぼそくおぼゆるほどに、石山に一昨年まうでたりしに、心ぼそかりし夜な夜な陀羅尼いとたふとうよみつつ礼堂にをがむ法師ありき、問ひしかば、
「去年(こぞ)から山ごもりして侍るなり。ごくだちなり」
と言及しているし、
菅原孝標女(『更級日記』)も石山寺に参篭(ガチ源氏ファン聖地巡りw)。
『和泉式部日記』となると
かかるほどに八月にもなりぬれば、つれづれもなぐさめむとて、石山に詣でて七日ばかりもあらむとて、詣でぬ。宮、久しうもなりぬるかなとおぼして、御文つかはすに
童「一日まかりてさぶらひしかば、石山になむこのごろおはしますなる」と申さすれば、
「さは、今日は暮れぬ、つとめてまかれ」とて御文書かせたまひて、石山に行きたれば、仏の御前にはあらで、ふるさとのみ恋しくて、かかる歩きも引きかへたる身の有様と思ふに、いともの悲しうて、まめやかに仏を念じたてまつるほどに、高欄の下の方に人のけはひれば、あやしくて見下ろしたれば、この童なり。
さすが、寺やっちゅうのに
艶かしいぞ(あははは)

本堂
とても静かで落ち着く
良い環境ですな(多分プラセボもある)
この、紫の寺社幕の内側

これは、、
まさに作家のカンヅメ!!(館詰)
(原稿を書くのに、ホテルや旅館に軟禁して/されて、仕事するアレ)
源氏の間とあり、
紫式部の在りし日の姿を再現したものが展示されている。
説明には、紫式部がこの部屋に参篭し、八月十五夜の晩に前方の金勝山から昇る中秋の名月が下の湖面に映える美しい景色に打たれ、構想の趣くままに筆を採られたのが、有名な『源氏物語』であります。と、書かれている。
「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされている。
ここで、全ての源氏物語のスタートだったかどうかはともかく、
須磨と明石あたりが、こちらで書かれたのは、多分そうなんだろうと思う。
だいたい、現代の長編売れっ子作家も、リゾートホテルで缶詰になって、執筆したりするので、、そんな感じをイメージしてしまうんですよねぇ。
なんにせよ、多分、ここで源氏物語のどこかのパートが書かれたはず!
興奮しますねぇ。
個人的には
薫が母の女三宮が病気になったので、石山寺で祈祷をうけていたそのとき、浮舟の失踪の連絡を受けたのを思い出す
大将殿は、入道の宮の悩みたまひければ、石山に籠もりたまひて、騷ぎたまふころなりけり。さて、いとどかしこをおぼつかなう思しけれど、はかばかしう、「さなむ」と言ふ人はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使のなきを、人目も心憂しと思ふに、御荘の人なむ参りて、「しかしか」と申させければ、あさましき心地したまひて、御使、そのまたの日、まだつとめて参りたり。
この本堂で薫が祈祷なさったのよ(たまらん)。
ちなみに、石山寺の前を流れる

瀬田川
この川はs.l.(sensu lato)淀川で、
琵琶湖から始まり、
滋賀を流れる部分が瀬田川、
京都府にはいるあたりから宇治川となり
大阪府と京都府の境界付近で桂川と木津川と合流し
淀川と呼ばれる流域となる。
昔はまた他の川も合流したり分岐したりもしていたので
その都度呼称があるが、まあ割愛。
頭にいれておかんとあかんのは
瀬田川と宇治川が同じということ、
石山と宇治川、川でつながっていたので
京から一本道であった、ということだ。
瀬田川については、源氏物語から離れてから
もう一度言及したい。
そんなんとかもう、色々で、
あわわわ、と興奮しながらお参りし
境内も散策する

多宝塔
建久5年(1194年)建立で建立記録(証拠)が残っている日本最古の多宝塔
ということは、多宝塔が古い、というよりは記録が最古、ということではある。
寺伝では源頼朝が、平治の乱の後に石山寺が兄の源義平を平清盛から匿ってくれたことへのお礼で寄進したと伝わっている。
紫式部が来たときにはなかったものではある。

ちらほらと桜が咲き始めていて
たいへん風情があった
いやはや、、
ここはなんといっても、
外せない聖地ですな。
授与品

爺さん!!(笑)
おみくじです。
白い和犬をみると、
どうしても連れて帰りたい。
『紫式部と石山寺』という紫式部に関係する石山寺の宝物の資料集(ありがたい求めやすい初穂料)や読み物もあるので、ヲタならば入手することをおすすめする。私ももちろん、ごそっと授かってきました(笑)
本堂内陣もすばらしい仏像が、えぐい間近で拝観することができるので、超おすすめ。(撮影不可)
春秋には、源氏物語にちななんだ展示も行っている。
大津、まだ続きます。
経蔵のキジバト
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