薫を追う!鳳凰舞う院へ

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Japanese waxwing
宇治にやってきました。
平等院に到着するとなり
鳳凰が目に入る前に、
まず連雀にお出迎えいただく、
いとをかし

平等院鳳凰堂
2014年に平成修理が落成
平安時代の復元色になったのは約60年ぶり。
最近宇治にくることがなかったので、
私も渋い色しか見たことがなかったと、今更気づく。
平安カラーをみるのは初めて!
感動的な青空に映える極楽浄土感ったら、えぐい。
ていうか、これが平安時代に、、
藤原氏の権力と財力よ。
内部の雲中供養菩薩像を愛でるため
内部拝観もきっちりおさえた(必須事項)
※団体客が集まる時期は、あっという間に定員満杯になるので
興味があるならば、朝一で予約するのが確実で時短になる。
いやはや、確かに新しい感はあるが、
これが平安貴族たちが見ていたすがたかと、、
極楽もかくや、、という風情ですな。
平等院は、光源氏のモデルの最有力と言われている源融の山荘・宇治院であった場所。まあ、基本この人がモデルで、プラス盛ってるんだろう。
源融は嵯峨天皇(809-823)第十二皇子で臣籍降下で源氏の姓を賜る。嵯峨天皇の子は男女合わせて約50人、ぶっちゃけすべて皇族でやっていくのは無理で、多くの子らが源氏姓を与えられ臣籍降下した。この人たちが所謂嵯峨源氏(以前、源平あたりのときに書いたような気がする)。そして、臣籍降下したとはいえ、皇族なのでえぐい簡単に出世した人々でもある。其中でも、容姿端麗才能豊かな光り輝く融の君は、賀茂川の河原院(現在、五条大橋の近くに石碑があるのみ)と呼ばれた豪邸に住み、河原左大臣という名前で百人一首にも選出されている
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし われならなくに
思い出してなかった人も、これ読んで
「あ〜〜」と言うてることと思う。
この作者が源融
でまあ、このあたりに、
その融が造った山荘(今風にいうと別荘とか別宅とかそんなん)が、陽成天皇やら宇多天皇に渡って、朱雀天皇の離宮となり、紫式部のパトロンというか、紫式部を宮中にリクルートした当時の政治モンスター藤原道長の別荘”宇治殿”となる。

藤がねぇ、、絡むんですよぉ
道長の没後に息子の頼通が平等院を開基、別荘から寺に。
開山は当時、園城寺(三井寺)の長吏を勤めた後、京都岡崎の平等院の住職だった明尊(小野道風の孫)で、さすが当時の藤原やりたい放題なので、宇治のブランニュー寺院に”平等院”という名前が欲しくて、ごそっと名前ごともってく。で、岡崎の平等院は円満院と改名し
(円満て草、色々な条件でかなり円満やったんかもしれんけどな。なんというか、今でも命名権は買えるけどねぇ、そゆことだろう)、
現在は三井寺のそばに移っている。ちなみに、当時の平等院は三井寺の末寺という体裁になっている。なんか、書類上、まじで不備ないというか、恐ろしい平安政治で足の引っ張られる隙を作らないのが大切だったんだろうなと、思うわけで。ていうか、この隙のなさが藤が繁茂した要因ともいえるのねぇ。しかしまあ、体裁は整ってるとはいえ、ゴリッゴリやね。
1053年に鳳凰堂竣工
残念ながら、この姿は紫式部はご覧になってないちゅうことになる。
源氏物語の宇治十帖では、夕霧が光源氏の遺産で所有している宇治の山荘になっている。
初瀬詣で、長谷寺から帰ってくる途中の匂宮を薫が迎えるのがここ。DNA的光源氏の孫と、デプロマ的光源氏の息子(DNA的には繋がってないこともないが遠い)の、大変ややこしいドラマが非常にDOOL(Days of our Lives)なのだった。
ていうか、この頃の観音信仰もかなりバズってたみたいやねぇ。
兎にも角にも
宇治なのですよ

院内にはヤドリギがたくさんあって、
そんなに実ぃはのこってなかったが、
お尻からねっちょりと筋ひいたヒレンジャクがみられたので、
まだまだ食べるところがあるんだろう

一万円札の鳳凰
この鳳凰はレプリカで、
本物(国宝)は境内の宝物殿凰翔館で観られる。
去年(2022)の5月に、新潟県立美術館で
平等院鳳凰堂と浄土院展に行って、
どうしても、現地で拝観したいなぁ、、と
書いてるが、
結構早めに実現してとても嬉しかった。
来ガタしたのが雲中供養菩薩像の北1号、南14号だったんだが、
それだけでもありがたいと感じたのに、
京で滞在していると、国宝多すぎてデフォなのが怖い。
ていうか、京都スケがすべて平日で
いっちゃんでたこやき食べられなかったのが残念。
でまあ、
十円玉のオモテの平等院鳳凰堂も久しぶりに眺めるか、と
マイ小銭入れを見たらば

なんか、ギザジュウ入ってた!!!
おもろ!!(表裏合成)
昭和28年製よ。
吾よりずっと年上の十円様。
なんか、ドラマティックな気がする。
いとをかし
ちょっと長くなってきたので、
ここらへんで割愛して、
宇治橋へ
宇治川に行く前に
まず、こちらを参拝

橋姫神社
明治の大水で流される以前は宇治橋の西のたもとに、さらに昔には宇治橋「三の間」(橋の中間点)に祀られていたそうだ。かなり水の守りの要。
宇治川に参る際には、まずお参りしておきたかった。
宇治十帖の橋姫の山場というと
やはり薫が自分の出生の秘密を知る場面
目の前に この世を背く 君よりも
よそに別るる 魂ぞ悲しき
命あらば それとも見まし 人知れぬ
岩根にとめし 松の生ひ末
DNA父の柏木(頭中将の長男)の文がまた涙を誘う
ていうか、実の父母の恋文を読むて、、
ちょっと、複雑やねぇ(私なら読拒)
しかも、父と母の温度差!
「かかること、世にまたあらむや」と、心一つにいとどもの思はしさ添ひて、内裏へ参らむと思しつるも、出で立たれず。宮の御前に参りたまへれば、いと何心もなく、若やかなるさましたまひて、経読みたまふを、恥ぢらひて、もて隠したまへり。「何かは、知りにけりとも、知られたてまつらむ」など、心に籠めて、よろづに思ひゐたまへり。
そして、知った後に
母に会うシーンがこれまた壮絶。
おさなごのような母を見る薫
(実はロリババアという属性は紫式部が確立していた!)
そりゃまあ、八の宮に傾倒もするわな。
げにめんどくさいのは男女の仲
ともかく、紫ちゃん
こんな物語をよくぞ描けたもんだと
平安では恋バナあるあるだったのかもしれないが
それを加味しても、紫式部の筆力のすさまじさよ。
ともかく、橋姫神社参拝
さあ、これで準備万端
宇治川へ向かいます(すぐそば)
平等院のヒレンジャク
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茶だらけ
どこで飲んでも美味しいので
単に好みかと思う。
私は、そんなに茶にうるさくないので
混んでるところはパス

自販機も宇治茶
自販機には、たまにセール自販機ちゅうのもあって、
110円という特価筐体もあるで
見つけるとつい買うてまう
碾茶入り宇治茶うまいです
ほうじ茶もあったのでDカフの人にもばっちり。
喉乾いてたので、めちゃ美味しかったです。

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