御薬園

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Japanese robin
会津若松城に行くと、
あちこちで見かける御薬園の
大きなポスター
毎回気になるものの、
用事がないので、スルーしていたが
ようやく訪園
お城から徒歩15分

会津松平氏庭園 御薬園(おやくえん)
ここに霊水がわく場所があり、
1432年蘆名盛久が別荘を建てたそうだ。
その後、そのまま受け継がれて会津藩の別邸となる。
時代はくだり、
1670年 会津藩2代藩主
保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り
3代藩主松平正容が貞享年間に朝鮮人参を試植し
そのままの流れで御薬園と呼ばれるようになったそうだ。
当時の公共事業的にも、
薬は大切ですわな。

朝日神社
1384〜86年ごろ室町時代に
1羽の鶴が舞い降りたここの泉の水で、
病人が治ったっちゅう伝説がある。
朝日保方という旅の老人が、
ここにあった霊水で当時疫病に苦しんでいた
この地の人々を癒したそうだ。
後に、この地の人々がこの泉を鶴ヶ清水と名付けて、
この朝日神社を建てて、老人を祀った、
という説明札が立っていた。

庭園は1696年目黒浄定デザイン
池泉回遊型借景庭園
ちょっと庭的にも薬園的にも
残念な時期だったのだが、
そこらへんは妄想力でカバー
奥の赤い建物が御茶屋御殿
左が心字の池の中央にある
亀島の上に立つ楽寿亭
写ってはないが、右手の松の隣には薬用植物標本園
会津産薬草約200種を含め約400種の薬草が栽培
そのそばには
現在、重陽閣が移築されている。
重陽閣は秩父宮妃勢津子様ゆかりの建物
秩父宮妃勢津子様は松平容保の孫、容保の六男で当時アメリカ大使だった松平恆雄と旧佐賀藩鍋島直大四女信子の長女、ロンドン生まれで、世界各国の大使館で育ち、Sidwell Friends School(クエーカー系で政治VIPのご子息の学校というイメージがある)をご卒業されている。
秩父宮妃といえば、妃の御母堂を思い出します。明仁上皇様と美智子様のご成婚の時のめんどくさいエピソードで出てくる名前だわねぇ。美智子様推しだった私の祖母なんかは、ボロクソゆうてたのが記憶にある。
平成の初期の頃まで、
会津松平家が所有していたらしいが、
1991年に、松平家から会津若松市が譲り受け、
現在は会津若松市が所有している。

楽寿亭
戊辰戦争の時の刀傷
どんな刀よ、、
25cm longx3cm depthぐらいのごっそりさ
オノかマサカリか、ハチェットみたいな傷が、、

御茶屋御殿にも刀傷がのこっている
「明治戊辰戦争時の刀創 当時この御薬園は両軍(官軍)に接収され傷病者の治療所にされた」
という、木札がかかっている。
治療所なのに、刀傷て、、
一応、どの書物にも、
治療院だったために、戦禍は逃れたと書かれているが、
建物を焼かれんかっただけで、
斬り殺されはしたのか?
もしくは、けが人が錯乱して
刀ふりまわしたとか、、
錯乱して刀振り回してついた傷でも、
両軍ぶち当たって戦闘中についた刀傷も
書いてみりゃ、
明治戊辰戦争時の刀創
ではある。
ものすごく違う意味合い、、
歴史って、難しいわな、と
思う瞬間やね。

ショップには展示品もあり(撮影ウェルカム)
薬園だけあって、薬茶やのど飴が多数
胡麻羊羹が名物なんだそうだが
要冷蔵品、
残念ながら、妙に気温高く暑い日だったので
購入は諦めた。
そして、
なんとなく刺さったのが

厠をかりたら、
手洗い場が、これだった
いい手洗い場だ。
衛生面はおいといて、
霊水っぽくはある(笑)
便所の手洗い場なんやけどね(笑)
コマドリ
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