さらに会津戦

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Asian Stubtail
わっさりうごいてますな

滝沢本陣 1687年建築
本陣座敷は1800年代初めの文化文政の頃に建て替えられている。
飯盛山の麓にあり、白虎隊の自刃の場所圏内
会津藩主が白河街道を通る際の休息所や、
歴代会津藩主の参勤交代、
現新潟にあった村上藩や新発田藩の参勤交代時にも使われたらしい。
ていうか、、会津藩種の参勤交代に使用って?
近すぎひん?
鶴ヶ城から現代人の平均的な足で
徒歩40分超
どの道通っても1時間弱
なんなら鶴ヶ城の北側にあるんだが、、
なんでこんなところで休憩?
参勤交代の休憩って
休憩するたびにコストがかかるんではなかったか?
まあ、ええんやけど
というわけで、
旧滝沢本陣で、戊辰を振り返ってみる。
戊辰の会津戦
1868年8月21日、母成峠で官軍に敗戦
翌日8月22日
松平容保、滝沢本陣にて宿陣。
白虎隊一番隊は容保の警護で残る。
戸ノ口原の守備を固めるため、
白虎隊二番隊が滝沢本陣より出陣。
8月23日、戸ノ口原の戦いにて東軍潰走
西軍が若松城下にはいり会津籠城戦が始まる。
1ヶ月後、
9月22日、会津藩降伏、鶴ヶ城開城。
容保は妙国寺へ移される。
容保はどこにおったんか

ここに居ったんですわ。
建物の中は
弾痕と刀傷だらけ

弾痕

ただ、黙って
はしからしまで
柱や戸などを眺める。

大砲弾痕

特有の暗さ
館内、もちろん履き物を脱いで
座敷にあがるので、
脱ぎやすい靴がよかろう
入場料も無人の箱入れ方式
(両替機が据え付けられている)
監視カメラが据えられてはいるが、
最近、文化財の盗難が相次いでおり
非常に心配になるシステムになっている。
柱などもなでさすられまくってるし、
屏風やふすまなども
指つっこまれて穴あいていたりして、
ものすごく雑な扱いである。
おおらかといえばおおらかなんだが、、
こちらに見学に来る方全てが
いい人でありますように。
祈るのだった。

周辺にあった自販機が
これまたエグかった
少年達が自刃する直前の図柄
画が、画のタッチすら不穏に感じる
なんとも、申し訳ないというか
悲しい気持ちになる自販機
ごめんなさい、
楽に飲み物を飲んでしまって、、
刀を突きつけられて、
生きてることに感謝させられるような、
ならぬものはならぬ感じの強い自販機であった。
ヤブサメ
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